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2009年04月 アーカイブ

2009年04月02日

太極

太極(たいきょく、簡体字:太极 ピンイン:tàijí、タイチー)とは、『易』の生成論において陰陽思想と結合して宇宙の根源として重視された概念である。
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概要 [編集]
太極は万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生ずるとする。もともとは『周易』繋辞上伝にある言葉で「易有太極 是生兩儀 兩儀生四象 四象生八卦 八卦定吉凶 吉凶生大業」(易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず)といったように易の八卦の生成過程、ひいては天地万物の生成論を示すものであった。これは道家の生成論として用いられた太一と類似する。この生成論は早くに陰陽思想と結びつけられ、漢代、両儀は天地または陰陽、四象は四時の気、太極は春秋学から生まれた元気(根元の一気)の概念に措定され、元気-陰陽-四時-万物と解釈された。魏晋以降になると、この構図は老荘思想の生成論の根本となる『老子道徳経』42章の「道生一 一生二 二生三 三生萬物」、道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず、と対比され、太極=元気を『老子』の「一」や『荘子』の「一気」と見なし、その上位に老子の「道」を置くような解釈が行われた。北宋になると周敦頤が『太極図説』によって『老子道徳経』28章の無極を取り入れ陰陽五行によって解釈した無極-太極-陰陽-五行-乾坤-男女-万物といった構図を図として提示した。南宋の朱熹は自説の理気二元論を説明するためにこの図を取り入れ、陰陽=気に先行する太極=理とした。なお朱熹は周敦頤が太極の前に冠した無極は太極に先行するものではなく、太極の性質を形容するものであるとして「無極にして太極」と解釈している。

また宋代から興った易学では太極から始まる宇宙生成を描いた図像が用いられるようになり、これを太極図という。

2009年04月17日

イニゴー・ジョーンズ

イニゴー・ジョーンズ(Inigo Jones, 1573年7月15日 - 1652年6月21日)は17世紀イングランドの建築家。イタリア遊学時にイタリア・ルネッサンス建築の影響を受けてこれをイングランドに伝え、ジョージ王朝期のブリテン島におけるパラーディオ主義(またはパレイディアニズム)の流行を決定づけた。イングランドにおける最初の建築家と見なされている。

生涯 [編集]
ジョーンズはロンドンのスミスフィールド周辺においてウェールズ人の織物工の子として生まれ、セント・バーソロミュー・ザ・レス教会において洗礼を受けた。幼少期から青年期にかけてのことははっきりとしないが、16世紀から17世紀にかけてイタリアで建築学を修めたことが分かっている。1598年から1603年にかけて行われた1回目の留学はおそらく第5代ラトランド伯爵ロジャー・マナーズによって資金を提供され、画家としての教育をうけた。この遊学でアンドレーア・パッラーディオの建築に強い感銘を受け、その著作『建築四書』をイングランドに持ち帰った。

1613年から翌年までは美術品の収集家であった第21代アランデル伯爵トマス・ハワードに同行して再びイタリアを訪れた。ジョーンズの詳細なメモが記された『建築四書』が現在も残されている。ジョーンズの設計にはパッラーディオの影響が見られ、彼の著作『建築四書』および古代ローマの建築家ウィトルウィウスが書き残した『建築十書』も参考にされている。

帰国したジョーンズは王室営繕局長官(king's Surveyor)に任命された。この地位においてジョーンズは王室および貴族の邸宅の設計に関与した。ジョーンズの代表作はロンドン郊外のグリニッジのクイーンズ・ハウス、旧ホワイトホール宮殿のバンケティング・ハウスである。後者の天井画はピーテル・パウル・ルーベンスにより描かれている。バンケティング・ハウスは義理の甥であるジョン・ウェッブが設計に参加した。

ジョーンズはロンドンの卸売市場がおかれていた広場であるコヴェント・ガーデン・ピアッツァの設計も行っている。これは元々はイタリアの広場(ピアッツァ)に似た空間を作ってほしいとの第4代ベッドフォード伯爵フランシス・ラッセルからの注文であった。ラッセルはその後教会の建設も思い立ち、ジョーンズに対してできるだけ経済的に済ませるようにとの指示を与えた。具体的には「納屋をつくってくれ」と言ったとされるが、それに対するジョーンズの答えは、伯爵は「ヨーロッパ一の納屋」を所有することになるでしょう、というものであった。広場の西に建設されたセント・ポール教会は1798年の火災で焼失し、その後再建され現在に至っている。

彼はまた舞台美術の世界においても活躍した。ベン・ジョンソンの執筆した仮面劇の衣装をデザインした際には、演劇においては舞台美術と劇作のどちらがより重要であるかという議論が2人の間で戦わされている。プロセニアム・アーチと移動型舞台装置をイングランドの演劇に導入したのはジョーンズの業績であった。

ジョーンズはイングランド国王チャールズ1世の王妃ヘンリエッタ・マリアの依頼によりサマセット・ハウスにローマ・カトリックの教会を建設した。この教会の建設はプロテスタントの間においてチャールズに対する反感をかき立てる原因となった。1642年にイングランド内戦が開始されるとジョーンズのキャリアは事実上終焉した。財産を没収されたジョーンズは余生をサマセット・ハウスの一室で生活している。1652年に死去するとその遺骸はロンドンのセント・ベネット・ポールズ・ウォーフ教会に葬られた。ジョン・デナムとクリストファー・レンがジョーンズの後継として営繕局長官に任命されている。

営繕局長官としての権限を利用して、ジョーンズはストーンヘンジの調査を行っている。ストーンヘンジの建設者や建設方法に関する謎に対して彼が下した結論は現在は顧みられていないが、これは記録に残されている初めての科学的調査であった。

18世紀の建築家である第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイルやウィリアム・ケントの作品にはジョーンズの強い影響が伺われる。

関与した建築物 [編集]
クイーンズ・ハウス ジェームズ1世の妃であるアン・オブ・デンマークの為に建造、その死によって中断されたが、次代チャールズ1世妃ヘンリエッタ・マリアの為に工事が再開された
プリシンズ・ロッジングズ ニューマーケット
バンケティング・ハウス ホワイトホール宮殿
クイーンズ・チャペル セント・ジェームズ宮殿 アン・オブ・デンマークの為に建造
ストーク・ブルーアン・パーク 
ウィルトン・ハウス 弟子のアイザック・ド・コーズにより設計、ジョン・ウェッブが修復
リンゼイ・ハウス イングランドにおける古典主義建築の代表作 ジョーンズの関与については疑問
サマセット・ハウス

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